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目標とするところは最終的には

ファシズムの目標とするところは最終的には国力の増強であり、国民の精神力と労働力のすべてを国力増強に動員する体制が追求された。ファシズム政権が確立した国では、ファシズムに反対する勢力は暴力的に弾圧された。弾圧には、追放、逮捕、投獄、強制収容などの方法が採られ、後には処刑されることもあった。少数派への弾圧は、残る多数の国民をファシズム勢力に結集させるためにも利用された。知識人への弾圧やユダヤ人の追放は、一般国民に恐怖を与えたが、他方ではカタルシス的な共感をもたらした点も否定できない。幾度かの弾圧、追放が劇場政治のように計画され、ファシズム政権への国民の支持は高まった。弾圧されたのは、国内の思想的異分子や、ファシズムへの協力を拒んだ知識人、少数民族(ロマ人や、ユダヤ人など)、また障害者などである。とくにドイツでは、第1次世界大戦の敗北の原因をユダヤ人や共産主義の責任とする論考(「背中からの匕首のひと突き」)が広く流布していたため、ユダヤ人の排除は大衆的な支持を得た。ドイツでの少数派排除政策はホロコーストに結実したが、これほどの大きな虐殺は国民の動揺をもたらす懸念があるため国内では秘匿されていた。

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ファシズムが表れた国として有名なのはイタリア王国、或いは第二次世界大戦中にドイツの占領、影響下にあった諸地域(ヴィシー政権下のフランス等)、他にはフランコ政権下のスペインやサラザール政権下のポルトガルにおけるエスタド・ノヴォが挙げられる.戦時体制下の大日本帝国、中華民国で蒋介石によって1934年から15年に渡って推進された「新生活運動」[1]、20世紀後半の南米で民主主義で成立した左派政権をアメリカ政府の支援するクーデターにより打破して誕生した数々の専制政権(アウグスト・ピノチェト政権下のチリ等が代表例)等もファシズムに位置づけられることがある。多くは第2次世界大戦前後の期間に集中して現れている。これら以外の国家体制がファシズムとされることはあるものの学術的な根拠は貧弱で、特定勢力による弾圧などのプロパガンダや思想による蔑称、反体制非難等の諜報戦、思想戦に利用される事も少なくない。俗用による語義の拡散が原因であるとも指摘されている[要出典]。日本のファシズムはその特殊性から「天皇制ファシズム」と称されることがある

1940年代から1950年代にかけてのアルゼンチンの政治運動は、その代表者フアン・ペロンの名前を冠してペロニズムとも呼ばれる。

大韓民国、ベトナム共和国(南ベトナム)など、20世紀後半に、軍事独裁、ないしは一党独裁政治をおこなっていた東アジア反共国家群の体制は一般にファシズムとは呼ばれない。(開発独裁も参照の事)

また、ユーゴスラビア王国のクロアチア人民族主義運動「ウスタシャ」は、ドイツ・イタリアから強烈な影響を受けていた。これは自民族の防衛を訴え、セルビア人(とくに要人――1934年にユーゴスラビア国王アレクサンダル1世をマルセイユで暗殺など)、ユダヤ人へのテロを繰り返した。この他にも、南アフリカ、シリア、レバノン、イラン、パラグアイでもファシズムに強く影響を受けた民族主義運動が出現した。

アルベルト・アインシュタインはアメリカのファシズムを懸念していた。マッカーシズムをアメリカにおけるファシズムの表れと見る見解もある。

近年では、制度としてのファシズムとは別に、前述したソレルとの関連で思想としてのファシズムの「フランス的起源」が提唱されている。

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2009年04月28日 06:39に投稿されたエントリーのページです。

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